詳しすぎる私のプロフィール(見るべき)

はじめまして。

この度は、私のプロフィールをご覧いただきありがとうございます。

より私の事を知っていただいて、興味がありましたら記事の方もご一読いただけたら嬉しいです。

長くなりそうなので、ピンポイントで知りたい方は目次からどうぞ。

それでは私の人生解説、キックオフ!

小学校までの私

私は静岡県生まれの静岡育ち。田舎でも都会でもない、非常に居心地の良い場所で育ちました。

一人っ子の長男として性を授かる。周りからは大事に育てられ、甘やかされ。。。自分中心に周りが行動してくれていたことを大人になって実感(笑)なにもストレスを感じることのないまま、すくすくと成長しました。ちなみに、写真の頃が人生でのピークの顔面偏差値。それ以降は評価を落としており、最近ではこの頃の面影がないとまで言われる。

小学校では活発な方で、なにかと好奇心旺盛。運動も勉強も成績はトップクラスの無敵状態だった。多くの友達と広く浅く遊び、習い事がない日は夜遅くまで遊んでよく怒られた。一人っ子だから、遊んで家に帰ったら遊び相手がいなくてよくゲームをしていたなぁ。懐かしい。ゲームはけっこう得意。

特に大きな壁にぶつかることなく、のほほんとした人生を歩む。

中学校~高校

地元の公立中学校には行かず、お受験をして私立の中高一貫校に進学。入学した最大の目的はサッカーと勉強の文武両道。中高一貫とは言うものの、中学卒業時に高校の進路はフラットで考えられる(現在は不可)ことも私にとっては魅力的でした。受験勉強はそれなりに頑張ったけど、本番ではほとんど解けず(笑)

入学してからはとにかく勉強が大変だった。一番最初の実力テストでは120人中80位と、初めての挫折。それから3年間必死に勉強したけど40位までが限界。上には上がいた(笑)

サッカーも順風満帆とは言えず、各地方から集まったサッカーが上手い同級生と日々、鎬を削っていました。仲間と切磋琢磨してボールを追いかけ、ほぼ休みなしでサッカーに打ち込み、基礎をとことん磨いた。

最後の大会では陰ながらチームを仕切る立場を経験。今こうして振り返ると、中学校での経験は現在の私を作ってくれた大切な時期でもあった。

この中学校に入学して一番良かったのは、人間性を磨けたこと。中学生の頃は必ずあるいじめを、両方の立場で経験しました。本当に良い意味で人間として成長した気がする。

おかげで人への優しさは自分の強みとなったが、同時に自分への甘さも身に付くという失態を犯してしまった(笑)

中高一貫校だった為、中学での成績(サッカー)が認められて特待生での高校進学をお願いされたが、既に行きたい高校が固まっていたので丁寧にお断りの話をした。

これに関してひとつ言わせてもらうと、私が中高一貫高校とは違う高校の進学を希望しているという話が高校サッカー部スタッフの耳に入り、後日に特待生(金銭免除)の話をされたんです。たかが高校生、しかもこんな私をお金で解決しようとしたことが全く理解できませんでした。本当に腹立たしい。

同級生からは、私の高校進路について反対する人や不安の声も耳にしました。そう思うのも無理のない話。全く無名の私が選んだ高校は、その年の全国高校サッカー選手権でベスト8という好成績を残した強豪校だったから。

県内の強豪高校に入学。私にとって、人生で初めてと言っていいほどの大きな挑戦ではありましたが、「ここでサッカーがしたい。」その一心で入学を決めました。

さすが強豪校、県の枠を超えて遠方から高校サッカーの頂点を目指してやってきました。部員は3学年合わせて150人ほど。入学当初、全員がギラギラして練習に向かうあの雰囲気は今でも忘れられません。

クラブチームの優良選手たちが一堂に集結し、これからハイレベルな戦いが始まると思うと、部活動(中体連)出身の私にとってはハードルが高く、少し消極的になっていたことを覚えています。

私は一番下のカテゴリー(チーム)からスタートし、徐々に結果を出して上のカテゴリーに必死に食らいつく。本当に毎日が勝負でした。

高校サッカー最後の大会、高校サッカー選手権静岡県大会では決勝で敗れて準優勝。私は1分たりとも出場することはできませんでしたが、この日の為に全てを捧げてサッカーに打ち込んだ日々は自信となり、素晴らしい財産です。

しかし、ベンチからの風景、出るかも分からないのにピッチサイドでひたすらダッシュを繰り返したあの感触。どれも悔しいことばかりで、でも、この高校でしか経験できなかったことが山ほどあったと思うと、私が選択した進路は間違ってなかったと思っています。高校での経験、実体験はまた他の記事でシェアしますのでぜひご一読ください。

大学での転機

大学は、高校でのサッカーの悔しさを晴らすべく関西の大学へ入学。スポーツに特化した勉強ができるのも進学の決め手となった。

大学サッカー関西学生リーグ1部所属で、Jリーグ特別指定選手もいてかなりハイレベル。高校では控えに甘んじていたこともあり、公式戦でのプレー経験があまりなかったので、試合に出場できるカテゴリーのチームに私を入れてほしいと自ら志願。全く図々しい奴だ。

入学して最初の夏。いつも通り試合に臨んだが、試合中のヘディング直後にふらついて前半で途中交代。ヘディングしたときに私の視界が真っ白になり、徐々に映像が鮮明になっていく感じ。貧血で倒れるときのような感触、今でも恐怖です。

すぐに病院へ行った。精密検査を受けたが脳には異常はなかったが、医者には三半規管に問題がある可能性があると言われ、ヘディングを禁止された。後に専門的な医者に聞いてみると、日頃からヘディングをするサッカー選手は頭が劣化することがあるという。

足は動くのに、ヘディングができなければサッカーにならないもどかしさ。低身長のわりにヘディングがストロングポイントのひとつでもあった私にとって、なにかを抱えてプレーすることに納得がいきませんでした。

チームメイトに気を遣ってもらってプレーするほど罪悪感はないと思い、私はサッカーをやめる決断をしました。

その後、なにか違うことはできないかと考えたときに、フットサルが思い浮かんだ。ほぼ足でのプレーで、接触もサッカーよりは激しくない。これならできると思い、数少ない手札の中からフットサルを選択。

フットサル部に転部

当時は小規模だったフットサル部に転部。当初はサッカーができない悔しさでしかなかったが、徐々にフットサルの楽しさにのめり込んでいく。実は私、小学校時代にフットサルチームに所属しており、全国大会3位を経験。少なからずサッカーとは違った楽しさを理解していたつもりだった。

2年目からは、U‐23フットサル県選抜にも選出され、チームも全国大会に出場した。3年時には大学フットサル関西学生リーグ2位、全国大会出場。部としては好成績であり、それが学校で評価されて表彰された。

正直言うと、私の時代は大学フットサルがまだ発展途上で、学校や世間から注目をされていませんでした。フットサルが遊びとしか捉えられなかったのが、現在は大学フットサルを中心に競技系フットサルが浸透しており、高校年代でも全国大会が注目を浴びています。いつか、私もフットサル発展に携わりたいと思っていますので、お助けできることがあればお声かけください。

大学でサッカーを諦めざるを得なかったけど、本当に素晴らしい時間でした。サッカーをやめた後悔がかき消されるような、そんな大学生活だった。黒歴史は封印しておくね。

写真と映像

私は学生時代、サッカーと共に生きてきました。何をするにもサッカー。それ以外はどうでもよくて、サッカー中心に物事が進んでいました。

しかし、サッカー(フットサル)を引退したときに、私にはそれ以外何も残らなかったのです。

これはヤバイと思い、何かに夢中になれることを探すためにあらゆることに挑戦。

一人で海外旅行に行ったり、復興支援ボランティアに参加したり、カメラを持って写真を撮りに行ったり。

これは私にとってはネタで余談ですが、一番面白かったのがアムウェイにアンチとしてセミナーに参加したこと。情報収集の為に参加したので製品には全く興味がなかったのに、気持ち悪いほど押し売りしてきてムカついたのであしらった。性格悪すぎ(笑)

そんな中、一番楽しいというかしっくりきたのがカメラ。もともと旅行が好きで、景色の良い風景を撮るのが好きでした。他の人には私についてこれないほどの行動力を持っていると思っているので、いろいろなところへ行っては無心に写真を撮る。その感情は、サッカーを楽しんでいるときのように無心で、時間があっという間に過ぎるようになりました。

の頃からインスタグラムが流行るようになり、私もその波に乗って毎日のようにインスタグラムに写真を投稿。誰の為でもない、完全に自己満足の世界で投稿していた写真に、次々と温かいコメントを残してくれる人やSNSでシェアしてくれる人が。最初は、「なんで私が投稿した他愛ない写真に見知らぬ人がわざわざコメントしてくれるのだろう」と思っていましたが、投稿する度にコメントをくれる人も。

おかげさまでフォロワーは1500人を突破し、なぜかこんな大勢の方々に見られるようになりました。Youtuberは画面越しのファンの方の為に動画を投稿していると思うけど、同じ感覚を覚えるようになった。見てくれる人がいるから、写真にも一層身が入り、今ではほぼ毎日投稿するようになっています。

撮影も楽しいけど、何と言っても編集がめちゃくちゃ楽しい。自分で撮影した写真データをパソコンに取り込み、フォトショップで編集している時間が一番幸せな時間です。非現実的な写真に加工したり、鮮やかに編集したり。色合いによって写真に表情が生まれ、そのときの温度感やストーリー性を感じるような写真になる。動かないたった1枚の写真だけど、その1枚で感じることはたくさんあります。

撮影者によって変化が生まれることが、写真の良いところ。それぞれのストーリーがあって、同じ場所で撮影した他人の写真と自分の写真を比べても、同じ感じにはならないところが面白いです。写真で表現するのは難しいですが、それがやりがいだったりします。

最近はドローンにも手を出した私ですが、カメラの欲が出て「今度は綺麗な映像が撮りたい!」ということになりました。どこでそうなったんだろう、気付いたら購入していました(笑)どうせなら本格的なドローンを購入して、普段見れない映像を撮ろうと奮闘中です。

私は現在、趣味の範囲で写真撮影や映像撮影を楽しんでいます。いわゆる週末クリエイター。

どこかでこの幅を広げたくて、いずれは仕事になればいいなと考えています。「好きなことを追求すればお金は後からついてくる」時代を生きる私たち世代は、趣味が仕事に変化するのは決して難しい事ではないと思います。ただ、うまくマネタイズできればの話ですけどね。何事も挑戦です。

私の性格

ここまでご覧になった方はもうお分かりかと思いますが、私の性格は完全に少数派です(笑)

人は簡単に信用しないし、人に頼るくせに何か言われるのが好きではなくて、他人のマイナス要素ばかり見えてしまう。本当に面倒くさい性格だと思います。

私の性格は少数派だということはかなり前から自覚していたのですが、完全に共感した面白い事がありました。

それは数秘術。自分の生年月日から判断する占いなのですが、これが当たりすぎて面白かった。

占う方法は、生年月日を一桁ずつ足し算して数字を算出していくだけ。おそらく、全部足したら二桁になると思うので、また一桁ずつ足し算。

(例)1234年5月19日生まれなら、1+234519=25となります。そこから、2+5=7。一桁になるまで足します。この方法で出てきた数字を誕生数と言い、自分の数字になります。

ちなみに私の誕生数は「11」。生年月日を足した時点でゾロ目になった場合、そこで計算は終了します。

私の性格は誕生数11の性格そのままなので、詳しいことはコチラからどうぞ(笑)こんな性格だと思っていただければ良いです。

みなさんも計算してみてください。

計算してくれるサイトもございますので、ぜひどうぞ。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

過去とは言えど、振り返っても未来が変わるわけではないので、未来に向かって生きることにします。

これからの人生、有意義に、そして楽しいものにする為に自己投資や時間の使い方には気を付けて過ごしたいと思います。

おそらく、書いた日から自分の状況は今後大きく変化すると思うので、引き続き記事を読んでいただければと思います。

ありがとうございました!

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ABOUTこの記事をかいた人

YOSHITAKA

平日は会社員として働く傍ら、週末は写真撮影や映像制作と、趣味に没頭する週末クリエイター。ここでは主に私の好きなことについて発信していきます。サッカー、写真、映像、役に立つ情報をシェアします。